【阪急沿線おしらべ係 第24回】
嵐山線、線路の隣の余白は何?

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【2021年5月配信】

読者のみなさんからお寄せいただいた、阪急沿線でふと見つけた「気になるもの」や「面白いもの」などを、阪急沿線おしらべ係のトッコが調査する「おしらべ係」。

これまで街の情報のほかにも、何度か阪急電車に関する疑問も取り上げてきましたが、今回は嵐山線に関するこんな質問をいただきました。

嵐山線は、なぜ線路の横にもう一本線路が敷けるくらいの余白があるんですか。

桂駅と、京都を代表する観光地への玄関口・嵐山駅を結ぶ嵐山線。普段は4両編成の阪急電車が単線を走るゆるやかな空気感が心地良く、行楽シーズンにはたくさんの人でにぎわう路線です。

「もう一本線路が敷けるくらいの余白」というと、以前のおしらべ係で、西京極-西院駅にある「余白」を調査したところ、「貨物用の路線を敷設する計画の跡地」だったことが判明しました(→記事はこちら)。

嵐山線の「余白」には、いったいどんな理由と歴史が隠れているのでしょうか。

早速調べに行ってみましょう!

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新緑深まる嵐山線へ

まずは、嵐山線の「もう一本線路が敷けるくらいの余白」はどこからどこまであるのか、現地を確認してみましょう。

桂駅で嵐山線に乗り換え、車窓の右方向を見ていると、京都本線と別れる分岐からその「余白」を発見。電車を降りて確認してみることに。

桂駅の次の駅、上桂駅付近の踏切から桂方面を見てみると、

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線路は1本ですが、向かって左側にもう1本線路が敷けるくらいの「余白」を作って、両脇に架線柱(電線を支える柱)が立っています。

嵐山方面を見ても、まだまだ「余白」は続いているようです。

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この「余白」、桂と嵐山駅の間にある、上桂駅と松尾大社駅の駅舎部分を除いて、終点の嵐山駅までずっと続いていました。

さて、これは何のための「余白」なのでしょうか?

まずは嵐山線の歴史を振り返ってみることにしましょう。

嵐山線のはじまり

全長4.1キロメートルの嵐山線が開通したのは、昭和3(1928)年11月9日。この年は、すでに開通していた天神橋-淡路間がさらに延伸され、淡路-高槻町、高槻町-京都西院、桂-嵐山と次々に営業を開始。大阪と京都を繋ぐ大動脈が形成されました。

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新京阪鉄道 高槻町-京都西院(地上仮駅)、桂-嵐山開通記念パンフレット 昭和3(1928)年11月

この時、実は嵐山線は複線で開業しました。

古来から、風光明媚な場所として知られる嵐山は、春と秋の行楽シーズンに利用客が増加することを想定し、スムーズにお客様をお運びできるよう複線で開業。しかし、行楽シーズンと普段の利用客数に大きな差がありました。そこで、線路は残したまま、普段は1線だけで運転するようになったのです。

その後、戦時中の昭和17(1942)年、金属供出のため下り線の線路は撤去されることに。そうして、嵐山線は単線として運用され現在まで至り、例の「余白」が残った、というわけです。 

現在の嵐山線をもう少したどってみましょう。

線路はなくなったものの、橋桁だけが残っているところを数カ所発見。

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ここに線路があったこと思わせる痕跡ですね。

車道と交差する高架部分を見てみると、

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高架を支える橋脚と架線柱だけ残して、完全に1線だけになっている場所もありました。

開業当時の痕跡がほかにも!?

嵐山線で、開業当時の痕跡は何か残っているのでしょうか?

嵐山駅へ行ってみましょう。

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ホームの北東側は木が生い茂っていますが、よくよく見てみると......何か、コンクリートのようなものが草木の間から見え隠れしています。

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実はここ、開業当時に作られたホームなんです。

嵐山駅は京都線の「看板駅」として位置づけられ、5面4線(あるいは6面5線とも?)を備えた大きな駅でした。

下の写真は昭和23(1948)年に撮影されたものです。

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国土地理院保有の空中写真

田畑の真ん中に5面4線(6面5線?)を有した駅舎は、かなりの存在感があったでしょう。

嵐山駅に配置された駅員の数も、約25名と大所帯。開業翌年には「愛宕詣り」が盛んでにぎわったようですが、嵐山線が単線になったのと同様の経緯で、3面2線へと縮小されました。

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現在の嵐山駅ホーム

現在も3面2線を利用していて、通常は真ん中のホームのみを使っていますが、人出の多い時は両端のホームも使用。臨時出口につながる2階への動線を利用することで、混雑を分散させています。

そしてもう一つ。

嵐山駅の隣、松尾大社駅にも立ち寄ってみましょう。

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駅のホームに、随分と味わいのある上家が建っています。

珍しくないですか? 阪急沿線の駅で、こうした木造の建物がホームに残っているのは。

風格を感じさせる木造寄棟造りの上家は、実は開業当時のもの

昭和30(1955)年の写真が残っていました。

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ホーム延伸工事の際、この建物をどうするかが課題に上がったのですが、阪急の記念建築物の一つとして保存されることに。補強しながら、今も現役で活躍しています。

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ほかにも、嵐山線と言えば、照明に使われているこの灯籠。

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明かりが灯ると、桜と紅葉のシルエットが浮かび上がり、京都らしい風情を醸し出します。

開業当時からなのか定かではありませんが、嵐山駅の照明は、古くからこの灯籠型が採用されていたそうです。戦時中の金属回収時にも灯籠は回収されることなく残され、時代ごとに素材やデザインを変えながら、お客様をもてなしています。

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昭和56(1981)年、嵐山駅ホームの灯籠

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そして、2010年の阪急電鉄開業100周年の際にリニューアルされた、嵐山駅の駅舎。

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駅は、周辺環境の変化や時代に合わせて、高架化されたり拡大したりする場合がありますが、嵐山駅はというと...

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写真は昭和20(1945)年の改造工事中の写真。この時すでに、2階からつながる改札口や外の階段が設置されていますね。特徴的な駅構造は、現在とほとんど同じであることがうかがえます。

まとめ

嵐山線には、開業時の面影を残す建物や遺構があることを知った今回。観光地を目指して嵐山線を利用することが多いかもしれないですが、阪急沿線の歴史探索を目的に、のんびりと嵐山線を巡ってみるのもおすすめです。

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