【阪急沿線おしらべ係 第21回】
阪急電車が新幹線の線路を走った?

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【2021年2月配信】

読者のみなさんからお寄せいただいた、阪急沿線でふと見つけた「気になるもの」や「面白いもの」などを、阪急沿線おしらべ係のトッコが調査する「おしらべ係」。

今回は阪急電車の過去について、読者の方からこんな質問をいただきました。

京都線で阪急電車が新幹線と併走する区間がありますが、新幹線建設時に「新幹線の線路を阪急電車が走った」と聞いたことがあります。
本当のところはどうなのでしょうか?
当時の写真資料等はあるのでしょうか?

ちょうど前回ご紹介した「屋根の上に...白い馬がいる!」の記事でも冒頭で触れましたが、上牧(かんまき)駅付近から大山崎駅までの間、阪急電車が新幹線と併走する区間があり、このことはご存じの方も多いでしょう。

その区間で、

阪急電車が新幹線のレールの上を走ったらしい

というのです。

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これは、事実です。

阪急電鉄に残されている資料と当時の様子を知る方のお話をもとに、歴史を振り返ってみましょう。

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併走しているのはこの区間

まずは地図で場所を確認してみましょう。

阪急電車と東海道新幹線が併走するのは、上牧駅付近から大山崎駅までの約3.8キロメートル。

この区間です。

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(国土地理院の地図データを加工)

上牧駅に立ってみると、フェンスを隔てて向こう側を数分置きに新幹線が走り抜けていく様子が見られます。

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2015年撮影

シュュューンゴォォーーーー

と、風を切るように疾走する音や、目で追えないほどの速さで駆け抜けていくスピードに、改めて新幹線のすごさが実感できるスポットです。

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今回お話をお聞きしたのは、「十三駅の番線の謎」でもお世話になった阪急の生き字引的存在、運輸部の上田さん。

といっても、阪急電車の歴史を見届けてきた上田さんも、この時はまだ小学生。社内の資料や写真を頼りに、一緒に歴史をさかのぼってみましょう。

新幹線の線路を走ることになった理由

阪急線はどうして新幹線の線路を走ることになったのでしょうか?まずは高架化された理由から解説していきましょう。

下に掲載したのは、大山崎駅(1957年)と、上牧駅(1953年)の写真。

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ご覧の通り大山崎駅~上牧駅は、元々は地上駅だったのです。

東海道新幹線が開通したのは、1964年10月1日。旧国鉄が用意したこのエリアの新幹線敷設の計画は、周辺の地形やすでに走っている東海道線、高速道路、国道の位置をふまえると選択肢は限られ、「阪急線と並行して新幹線を敷設し、さらに盛土高架で建設する」という内容でした。

ところが周辺は地盤が良くないことから、新幹線が高架化すると阪急線側の路盤が沈下する危険が考えられました。

その問題を回避するため両社が協議し、阪急線と新幹線どちらも高架化し、両線を並べて敷設することになったのです。

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※写真はイメージです

新しい高架線路は、すでに走っている阪急線の線路の上に設置する計画。では運行中の阪急線をどうするか?お客様の足を止めるわけにはいきません。

そこで、レール幅の規格を確認してみると、阪急線は1,435ミリメートル、一方の新幹線も同じく1,435ミリメートル

日本の鉄道のレール幅は、ほとんどが1,067ミリメートルか1,435ミリメートルなのですが、両線は同じ規格だったのです。

また、電車が走行するのに必要な電気はというと、阪急は直流、新幹線は交流と異なっていましたが、電気は設定を切り替えることができます

もうお分かりですね。

電車が走るための条件が一致したことから、先に新幹線側のレールを完成させ、一時的に阪急の車両をそこに走らせる。その間に、阪急線の高架工事を行うことで、運行に支障がでない計画としたのです。

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1962年10月、新幹線共同工事(旧水無瀬駅共同工事)

夢の超特急よりも先に、マルーンカラーの車体が走る

時は、東京オリンピック直前の1963年。今や新幹線は特別珍しい乗り物ではなくなりましたが、当時は「夢の超特急」と称されるほど、新幹線の開業を日本中が待ち望んでいました。

新幹線が将来走るレールの上を、マルーンカラーの車両が最初に走る。

その日が訪れたのは、1963年4月24日でした。

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上の写真は、下り線が新幹線の線路に切り替わった初日の4月24日に撮影されたもの。左手前の線路がプツっと途切れ、初代1300系が新幹線の高架の方へ向かっている写真です。

上り線は5月に入ってから移設されたので、往路と復路で違う線路の上を走る期間もわずかながらありました。

また3つの駅は、新幹線の高架上に仮設駅として設置。その様子がこちらの写真です。

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写真では見えにくいですが、改札口の看板には「新幹線上を走ります」と駅長の名前で案内が出されています。

反対側のホームへは構内踏切を渡っていくようになっていたので、当時の乗客は「新幹線のレールをまたぐ」という、なかなかレアな体験もできたんですね~。

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新幹線のレール上を走る阪急電車

当時、電車が大好きな小学4年生だった上田さんも、一度だけ乗車したことがあるそう。

「新幹線のレールの上を......阪急電車が走ってる!」

と目を輝かせて興奮したとか。いつもの阪急電車とは違う架線柱や上下線の間隔の広さ、「手前の堤防までしか見えなかった淀川が、向こう側の堤防まではっきり見えて、さらにその先に黄色と赤のツートンカラーの京阪特急が走っている姿も確認できた」と、鮮明に覚えているそうです。

阪急線が新幹線のレールの上を走った約8か月の間、大きな事故が起こることもなく、阪急線側の工事も終了。同年12月、阪急線に車両が無事に戻りました。

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昭和42年10月7日 上牧駅上家から大阪方面の風景

まとめ

鉄道ファンの間では有名な話だそうですが、詳しく知らない方もいらっしゃったかもしれません。

ちなみに、新幹線の高架を走ったのは阪急が初ですが、福井県のえちぜん鉄道でも2015年から約3年、高架化工事のため北陸新幹線の高架を間借りして走っていたそうです。(レール幅が異なるので、厳密には阪急と同じではないそうですが)

次回も阪急電車の歴史にまつわるテーマの予定ですので、ぜひ読んでくださいね。

最後まで記事をお読みいただきありがとうございます。阪急沿線おしらべ係では、阪急電鉄だけでなく、阪急沿線アプリで連携しているグループ会社(能勢電鉄、阪急バス、阪急タクシー)に対する質問も受け付けています。

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