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【阪急沿線おしらべ係 第38回】山本駅名の下に入る(平井)は駅名?阪急電車の駅名秘話

【2022年7月配信】

このコーナーでは読者のみなさんからお寄せいただいた、阪急沿線でふと見つけた「気になるもの」や「面白いもの」などを、阪急沿線おしらべ係が調査します。

今回は宝塚線の山本駅名について読者の方からこんな質問をいただきました。

『阪急宝塚線山本駅の、駅名看板をよく見ると山本 (平井) ...と書いてあります。その「平井」はどういう意味で書かれているのでしょうか?』

この質問をいただいて調査したところ、( )の表記は副表示名といわれるものであること、駅名である「山本」の下に書かれた「平井」は地域の歴史とも深くかかわっていることがわかりました。今回は駅名看板の表記や駅の歴史などの調査に出かけました!

今回、取材させていただいたのは阪急電鉄・運輸部の芝田達也(しばたたつや)さん(右)と松原弘記(まつばらひろき)さん(左)。お二人は阪急電車をご利用されるお客様に安心してご乗車いただけるよう、駅の案内サインを管理しているスペシャリストです。
※新型コロナウイルス感染防止対策を行いながら、取材・撮影をしております。

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山本駅(平井)の( )は駅名?

「実は(平井)は駅名ではないんです」と芝田さん。確かに路線図などでは、この(平井)表記を見ないですよね。それではなぜ(平井)と書かれているのでしょうか。


旧平井駅 提供:阪急電鉄

芝田さんからは「1944年まで宝塚線には山本駅と平井(ひらい)駅がありました。それらの駅が統合してできたのが現在の山本駅なんです」とお聞きしました。山本駅周辺は当時から植木業が盛んで、人の行き来が多く、全国でも有数の園芸の街として知られていました。一方、平井駅周辺は地元の方の利用が主だったことから、駅統合の際に、利用者の多い山本の駅名をとったのだそう。


地理院タイルに旧平井駅跡、旧山本駅跡、山本駅を追記して掲載(1936~1942年頃の写真)
https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html

「当時、駅名は産業が盛んな場所の地名を使うことが多かったようです」と松原さん。(平井)は平井駅の駅名の名残なんですね。駅名看板に副表示名として追加されたのは、駅統合の際に「平井」という駅名を残して欲しいという地域の皆様の要望によるものだったそうです。

旧山本駅は今の山本駅とは違うって本当?

このように山本駅は旧平井駅と統合されましたが、統合前の旧山本駅は現在の山本駅と場所が異なっていたようです。「現在の山本駅は、旧平井駅と旧山本駅のちょうど真ん中あたりに位置していたんです。宝塚線に旧山本踏切道(写真上)という踏切があるのですが、旧山本駅はそこにあったんですよ」と松原さん。


旧山本駅 提供:阪急電鉄

実際に旧山本駅のあった場所を確認するため、旧山本踏切道を訪れました。旧山本踏切道は山本駅を下車し、線路沿いに宝塚方面へ10分程度歩いた場所にあります。
そこでさらに気になるものを発見!


旧山本踏切道のすぐ近くの個人のご自宅の石垣に「阪急電鉄 旧山本駅跡」という石碑がありました。


※個人のお宅の塀にあるため、見学や撮影する際は敷地などには入らず、決してご迷惑にならないようご注意ください。

今回、こちらの住宅にお住まいの方に特別にお話を聞くことができました。もともとこちらの方は、旧山本駅の辺りを含め周辺の土地を持っておられ、地域に電車が欲しいという声が地元からあがり、電車が通る際に駅の敷地として土地を無償で提供したのだそうです。このお宅の石碑は、宝塚市山本自治会の発案で建立されたのだそうです。

当時の電車は1両の長さが15m程度(現在の車両は約20m)で、ホームの長さは約30mと大体2両分の長さしかなく、2両以上の電車は通過していたそうです。「駅が統合されるきっかけも、車両の長さや編成両数を見直すタイミングだったということもあるのではないでしょうか」と芝田さん。

阪急沿線には( )がつく駅がほかにもあるの?


西宮北口駅 提供:阪急電鉄

「阪急沿線には( )が駅名看板に入っている駅が山本(平井)以外にもいくつかあります」と松原さん。神戸線は2駅あり「西宮北口(阪急西宮ガーデンズ前)」、「王子公園(王子動物園スタジアム前)」。

宝塚線は「山本(平井)」、「宝塚(宝塚大劇場・宝塚ホテル前)」の2駅。

そして京都線が「西京極(西京極総合運動公園前)」、「吹田(吹田市役所前)」、「嵐山(嵯峨野)」の3駅で、合計7駅あります。挙げていくと、大きな施設が( )に入っていることが多いですね。

とはいえ、これらはネーミングライツ(駅名などに企業名や商品名などを冠した愛称を付ける権利)ではないので、要望しても駅名に入れられるものではないのだそうです。

駅名の変遷とその地の歴史

駅の統合や駅名変更は、その地域の変遷などが大きくかかわっているのだそうです。「駅の統合は、山本駅近くで言えば、雲雀丘(ひばりがおか)駅と花屋敷(はなやしき)駅も統合して1961年1月に雲雀丘花屋敷駅になりました。また先ほど副表示名がある駅としてあげた吹田駅も、もとは市役所前(しやくしょまえ)駅と統合した歴史があるので、この副表示名が書かれているんですよ」と芝田さん。
統合後の駅名のつけ方は、どちらかの駅名を継承したり、繋げたり、いろいろ方法があるんですね。駅名はその地域の歴史とも大きく関わっていそうです。


花壇町駅 提供:阪急電鉄

松原さん「沿線で一番駅名が変わったのは、千里線の関大前駅ですね。当時この周辺には大阪を代表するレジャースポット・千里山花壇という子ども向けの遊園地がありました。1921年の駅開設時の駅名は花壇前(かだんまえ)駅。それから、千里山遊園(せんりやまゆうえん)駅、千里山厚生園(せんりやまこうせいえん)駅、女子学院前(じょしがくいんまえ)駅、花壇町(かだんまち)駅と駅名を次々に変え、大学前(だいがくまえ)駅と統合の末、現在の関大前駅になるまで6回駅名が変わりました」。


大学前駅 提供:阪急電鉄

駅名が6回も変わってしまうと、当時をご存じの方はふとした時に「どの駅名だったっけ?」となってしまいそうですね。

駅のトリビアはまだまだあるようなので、さらに詳しく伺ってみました。沿線には不思議ななりたちの駅があるのだそう。
「不思議といえば、洛西口駅ですね。2003年開業の新しい駅ですが、1946年には今と場所は少し変わりますが、物集女(もずめ)駅という駅がありました。戦時中の工場のためにできた駅ですが、駅が完成した時には終戦していて2年で駅はなくなったんです。ただ、地元の要望も多く、洛西口駅ができてから乗客数は年々増えています」と芝田さん。これらは駅周辺に住宅地が増えたということも理由なのだそうです。


鹿塩駅 提供:阪急電鉄

また、なくなってしまった駅としては、今津線に鹿塩(かしお)駅という駅もあったのだそう。現在の仁川駅と小林駅間にあった駅で、1943~1945年まで戦時中の工場の職員輸送のための駅でした。今の阪神競馬場がある場所に工場があったそうです。「戦争の工場の輸送のために駅が作られることが、この当時は多かったんです。当社では昔から旅客輸送がメインですが、当時、他の鉄道では工場まで線路を引き込んだりしていて、貨物輸送も今よりもずっと多く行われていたようです」と松原さん。お二人が話してくださる駅の歴史やトリビアのあれこれは、阪急電鉄の歴史でありながら、その地域を知ることができる貴重なお話ばかりです。

電車を知れば地図を見る楽しみが増える!

お話をお聞きしている時に気になったのがお二人のこんな一言です。「町の景色や地図をじっくりと観察すれば、その地形などで、もともと駅や線路などがあったことがなんとなくわかるようになるんです」。その見分ける目利きの方法、ぜひ教えてください!
「線路が敷かれていた土地というのは条件が揃っているんです。ひとつは平坦になっていること、もうひとつは土手や空き地が不自然にあることです」と芝田さん。鉄道は高低差が大きい土地は苦手なため、本来起伏のあるようなところが不自然になだらかになっているのは、線路を敷くためにならされた跡なのだそう。同じ理由で、本来なくても良さそうなところに、起伏をクリアするようにある土手もその跡なのだそうです。「かつて線路があった場所などを見てみると、わかるようになると思いますよ」とこれからおでかけが少し楽しくなる見分け方を、お二人から教えていただくことができました。どこかに出かけられた時、また廃線跡を辿るおでかけなどをされる時はぜひ参考にしてみてはいかがでしょうか。

まとめ

今回の取材では、駅名看板など普段何気なく目にしていることを掘り下げるとその疑問が解決するだけでなく、その経緯や地域の歴史までわかる内容になりました。みなさんも気になるものや知りたいことが見つかった時は、ぜひ「おしらべ係」まで質問を寄せてくださいね。