【阪急電車おしらべ係 第27回】
阪急電車・能勢電鉄 廃止になった線路と駅をめぐる

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【2021年8月配信】

読者の皆さんからお寄せいただいた、阪急沿線でふと見つけた「気になるもの」や「面白いもの」などを、阪急沿線おしらべ係のトッコが調査する「おしらべ係」。

今回は、阪急沿線おしらべ係の中でもたびたび話題になる「廃止になった駅や線路」について調べてみました。

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歴史があるからこそ、駅にも線路にもドラマがあるはず!

皆さまもご存じの通り、阪急電車の歴史は、前身である箕面有馬電気軌道が開通し、宝塚線、神戸線、京都線と徐々に運行距離を延ばして、現在にいたるまで何と100年以上!

その長い歴史の中では、惜しまれつつ廃止される駅もあれば、時代の流れの中で廃止となった線路もきっとあるはず!

長い歴史の中で無くなってしまった場所、歴史ドラマを感じられる場所を探すべく、沿線で調査をしてみました。

【廃止になった線路】
西宮北口駅名物!ダイヤモンドクロス

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阪急阪神ホールディングス『100年のあゆみ』より

最初に訪ねたのは1984年に廃止されるまで高速鉄道では、全国唯一であった西宮北口駅のダイヤモンドクロス跡です。

ダイヤモンドクロスは、平面上で交差している線路のことをいい、直行しているものはとても珍しいということもあって西宮北口駅の名物として欠かせない存在でした。

輸送力増強、運転保安の向上のため、1987年までの数年間に、駅のホーム延伸や、西宮北口駅の駅舎を地上から橋上へと移設する大規模な工事が行われ、ダイヤモンドクロスは廃止となりました。

新しい西宮北口駅名物はカリヨン広場に

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ダイヤモンドクロスに代わり西宮北口駅の名物として誕生したのが「カリヨン広場」です。
待ち合わせ場所としても人気ですよね!時間をお知らせしてくれる鐘の音もすっかりおなじみとなっています。

そして、撤去されたダイヤモンドクロスですが、現在も西宮北口駅から徒歩約5分の高松ひなた緑地に保存されています。

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高松ひなた緑地へは、西宮北口駅の東改札口を出て、住宅街の中を南東へ進みます。

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ベンチや芝生広場などが整備されたこの場所にダイヤモンドクロスが保存され、その経緯や工事の様子などについての案内板も設置されています。

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現在の西宮北口駅は阪急西宮ガーデンズとも直結し、とても近代的な雰囲気です。住みたい街、憧れの街としても常に名前のあがる街となり、ダイヤモンドクロスがあったころの面影はありません。

以前の様子を伺いしることができ、いつでも訪ねることができる阪急電車の歴史スポットは身近であり、貴重なものだと感じました。

【駅の跡だけ残る廃止駅】
千里線開通当時には東吹田駅があった?

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次に訪ねたのは千里線です。
1970年、アジア初となる万国博覧会が大阪で開催されました。連日30万人もの入場者数があり、会場への人の輸送には阪急京都本線、千里線も大活躍。

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阪急阪神ホールディングス『100年のあゆみ』より

写真は万博期間中の約10か月だけ設けられた新設駅・万国博西口駅、万博で千里線沿線がどれほど賑わったのかが伝わってくるエピソードです。

そして、吹田駅から南東へ徒歩で2分のところにある「やなぎ遊園」が今回の目的地です。

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ここは千里線で残念ながら廃止となった駅の跡、それをうかがい知ることができる場所なのです。

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やなぎ遊園は一見すると、街角に整備された小さな公園ですが、千里線の開通当時、国鉄東海道本線(現JR)をはさむ形で西吹田駅(現在の吹田駅)と、東吹田駅が設置されていました。やなぎ遊園は、姿を消してしまった東吹田駅跡となります。

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踏切をわたり、やなぎ遊園の反対側に移動してみると、駅の跡がより分かりやすい形で残っています。フェンスの内側になりますので、近づくことはできませんが、フェンスの外からでも十分見えますね。

こんもりと草におおわれたこの場所、カーブに沿ってホームがあったことが分かる形をしていませんか?

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資料によると、西吹田駅と東吹田駅の駅間は約200mだったそう。とても短い駅間に2駅が設置されていたんですね。

【記念碑が残る路線跡】
川西市の発展をささえた能勢電鉄の遺構

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最後の目的地、能勢電鉄と阪急電車との乗り換え駅である川西能勢口駅に移動してきました。
高架にある駅のホームからそのまま阪急百貨店やショッピングセンターにも直結、宝塚線の中ではとても大きな駅の1つです。

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駅から出て、すぐのところにあるのが、1917年~1981年までの64年間、能勢電鉄が走っていた線路の記念碑です。

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現在の能勢電鉄は川西能勢口駅から北へ向かう線路のみになっていますが、かつては駅から南へ向かって線路が敷かれ、阪急川西能勢口駅と現在のJR川西池田駅を結ぶ路線もあったんです。

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12月19日に行われたさよなら運転の様子(能勢電鉄所蔵)

多くの人や貨物を運び、川西市の発展を支えたこの路線は、駅周辺の再開発に伴い、1981年12月20日、64年の歴史に幕をおろしました。

ここまでは、現在でも見に行くことができる遺構をご紹介してきましたが、最後は昔の写真でのみ知ることができる廃止された駅です。

【写真で見るかつての終着駅】
惜しまれつつ廃止となった神戸線の初代終着駅

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阪急阪神ホールディングス『100年のあゆみ』より

阪急王子公園駅から西へ歩いて約7分、現在、兵庫県福祉センターが建つ場所にかつての神戸線終着駅・上筒井駅がありました。写真は昭和初期の上筒井駅です。

上筒井駅は「神戸駅」の名称で終着駅として利用されていましたが、神戸線が三宮に乗り入れた1936年に神戸駅から上筒井駅へ駅名を変更、1940年に廃止されました。

上筒井駅が設置されていた兵庫県福祉センターを地図で確認してみると、阪急王子公園駅と春日野道駅の中間に位置し、現在の神戸三宮駅よりもかなり大阪梅田駅寄りに位置していたことも分かります。


いかがでしたか?
今はなき駅や線路の跡に立ってみると、往時の賑わいに少し触れたような感覚が起こります。ご紹介した場所がいつまでも残るようにと願いながら、帰途につきました。皆さまも機会があれば、ぜひ訪れてみてくださいね。

最後まで記事をお読みいただきありがとうございます。阪急沿線おしらべ係では、阪急電鉄だけでなく、阪急沿線アプリで連携しているグループ会社(能勢電鉄、阪急バス、阪急タクシー)に対する質問も受け付けています。

みなさんも気になるものや知りたいことが見つかった時は、ぜひ「阪急沿線おしらべ係」まで質問をお寄せください。

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